昭和21年〜昭和29年

<昭和21年>
  2月  9日:ピストン・堀口、現役引退とプロモーター転向を表明。
  2月23日:日比谷公会堂で初興行。純益を東京都へ寄付。
  3月20日:全日本アマチュア拳闘連盟発足。
  5月  1日:ピストン・堀口、引退を撤回してカムバック戦を行い、引き分ける。
      (対吉岡拳司) 6月 :資本金18万円で日本拳闘株式会社が発足。後に資本金1億4千万の会社までに
       成長する。(以降日拳と略) 7月 :日拳、築地東宝を買収して拳闘会館を建設。(以降日拳ホールと略) 7月 6日:「世紀の一戦」堀口vs笹崎戦の再戦が行われる。結果は引き分けだったが、堀
       口がダウンを喫して話題に 7月 8日:28のクラブが参加して日本拳闘協会が発足。 10月11日:日拳ホールが完成。第1回新人王戦開催。 10月27日:神宮外苑で戦後初の全日本アマチュア選手権開催。 <昭和22年> 3月 5日:全日本選手権準備委員会が発足。 5月11日:笹崎、初めてピストン・堀口に勝つ。 8月29日:3日間にわたって後楽園球場で第1回全日本選手権決勝戦が行われ、フライ、バ
       ンタム、フェザー、ライト、ウエルター、ミドルの6階級でチャンピオンが決定
       する。各階級のチャンピオンは以下の通り。 ・フライ級=花田 陽一郎 ・バンタム級=堀口 宏 ・フェザー級=ベビー・ゴステロ ・ライト級=笹崎 タケシ(漢字がない為カタカナで表記) ・ウエルター級=河田 一郎 ・ミドル級=新井 正吉 9月20日:戦後初の外人ボクサーの試合が行われる。 <昭和23年> 1月16日:フライ級チャンピオンの花田陽一郎、バンタム級チャンピオン堀口宏に挑戦、判
       定勝ちを収め2階級制覇。 2月15日:小山省吾選手が、安田一にKO負け後死亡。戦後初のリング禍 3月28日:ピストン・堀口がミドル級チャンピオン、新井正吉に挑戦して8RKO勝ち、ミ
       ドル級チャンピオンになる。 5月22日:ピストン・堀口、文元春樹の挑戦を受けて判定負け。タイトル失う。 7月14日:日本拳闘協会の理事長に就任した本田明の統制強化に反対するグループが協会を
       脱退し、全日本ボクシング連盟を発足させる。 10月 9日:協会が挑戦者決定戦を行い、白井義男らがタイトル挑戦者となる。 10月27日:日本拳闘協会が役員改選を行い、本田明を会長に選任する。 11月28日:日本拳闘協会、全日本ボクシング連盟に次ぐ第3の勢力として自由拳闘連合が発
       足。 <昭和24年> 1月20日:白井義男が、花田陽一郎を5RKOで下し、フライ級チャンピオンになる。 2月24日:全日本ボクシング連盟は、ダイヤモンド・グローブ・チャンピオン制度を新設し
       各階級でトーナメントを開始。 6月20日:日東拳の益戸克巳会長が「ボクシング愛好会」を結成。 9月25日:芝公園にスポーツセンターが完成。 9月28日:協会・連盟の対抗戦が行われ、白井が旧友の武藤鏡一に3RKO勝ち。 10月 8日:日拳ホールがこの日の興行を最後に閉鎖される。 12月15日:白井義男が、バンタム級チャンピオンの堀口宏に挑戦して判定勝ち。フライ、バ
       ンタムの2階級制覇を達成。 12月16日:東京ボクシング・ライタース・クラブ制定の表彰選手が決まる。 <昭和25年> 4月 8日:秋山政司が椎名勇夫を破って日本ライト級チャンピオンに。以降19回防衛の記
       録を作る。 10月24日:ピストン・堀口が東海道線の貨物列車に跳ねられ死亡する。享年39歳。11月
       2日に協会葬が行われる。 11月19日:広島で日本初の女性ボクサーの試合が行われる。結果はドロー。 <昭和26年> 1月14日:大阪中央公会堂での中西清明対宮本昇戦で、初のダブル・ノック・アウト試合
      (4R55秒) 3月17日:白井義男、ローブローで反則負け。永島秀政がバンタム級チャンピオンになる。
       しかし、試合の裁定を巡って混乱、後味の悪い試合となる。 5月 9日:世界フライ級チャンピオン、ダド・マリノが来日。 5月21日:白井、マリノとノンタイトル戦を行い惜しくも判定敗け。マリノは以降、後藤
       秀夫と引き分け、堀口宏にTKO勝ちを収める。 9月20日:白井が、永島を破ってバンタム級タイトルを奪回する。 11月18日:前世界ヘビー級チャンピオン、ジョー・ルイスが来日。エキジビションマッチ
       を行う。 12月 4日:ハワイに遠征した白井義男が、ダド・マリノに7RTKO勝ちし、世界タイト
       ル挑戦のチャンスをつかむ。 <昭和27年> 2月19日:羽後武夫(後にレフェリーとして活躍)が、椎名勇夫を破り、ウエルター級チ
       ャンピオンに。 4月20日:日本ボクシング・コミッション(JBC)が発足。初代コミッショナーに田辺
       宗英(後楽園スタジアム社長)、事務局長に菊地弘泰が就任。 5月19日:後楽園球場で行われた世界フライ級タイトルマッチで、挑戦者の白井義男が、
       チャンピオンのダド・マリノに判定勝ちをして日本人初の世界チャンピオンに
       なる。 7月27日:フィリピン選手が、戦後初の来日。 8月 5日:白井、保持していたフライ、バンタムの日本タイトルを返上。 10月18日:蔵前国技館でフラッシュ・エロルデvs堀口宏の東洋バンタム級タイトルマッ
       チが行われる。この試合が日本で行われた戦後最初の東洋タイトルマッチ。 11月15日:白井、マリノを破って世界タイトル初防衛に成功する。 <昭和28年> 4月18日:白井、タニー・カンポに判定勝ちを収め、世界タイトル2度目防衛成功。しか
       し、判定に不満のカンポは試合後に「白井のパンチではハエも殺せない」と発
       言。JBCはカンポにサスペンドを課した。 9月19日:白井、大阪球場でのノンタイトル戦で無名のレオ・エスピノサに、まさかの7
       RTKO負け。なお、この試合をNHKが初めてテレビでの実況中継した。 10月 8日:白井、元世界チャンピオンのテリー・アレンに判定勝ちして3度目の防衛に成
       功する。 12月17日:当時の世界ヘビー級チャンピオン、ロッキー・マルシアノが来日し、エキジビ
       ションマッチを行う。 <昭和29年> 1月 7日:NBAからJBCを正式会員と認める電報が届く。 4月20日:「リング」誌のナット・フライシャー氏来日。 5月24日:白井、レオ・エスピノサを2−1の判定で下し、4度目の世界タイトル防衛に
       成功する。4度のタイトル防衛は当時の世界フライ級の新記録。 7月24日:白井、アルゼンチンに遠征し、ブエノスアイレスでパスカル・ペレスと引き分
       ける。 10月27日:日本・フィリピン・タイの3カ国で東洋ボクシング連盟(OBF=現在のOP
       BF)を創設。初代会長にフィリピンのマヌエル・ニエトが就任。 11月21日:白井、ペレスに敗れ、世界フライ級タイトルを失う。 12月21日:日本テレビが民放で初のボクシング中継を行う。