<昭和60年> 1月 2日:元世界ジュニア・ライト級チャンピオン、フラッシュ・エロルデ氏死去。 2月 5日:赤井英和が大和田正春に7RKO負けして意識不明になり、開頭手術を受けて一命
を取り止める。 2月16日:全日本ボクシング協会は全選手にCTスキャンを義務付けることをJBCに進言す
る。 4月 4日:三原正が引退を発表。 5月 9日:渡辺二郎がフリオ・ソト・ソラノを判定で下し、WBC世界ジュニア・バンタム級
タイトルの2度目の防衛に成功する。 5月26日:渡嘉敷勝男が引退を発表。 7月 7日:浜田剛史がジョンジョン・パクインを判定で下し、東洋・太平洋ライト級チャンピ
オンになる。しかし、連続KO勝ちの記録は15でストップ。 7月24日:元日本フライ級チャンピオンでタレントのたこ八郎こと斎藤清作が、真鶴海岸で水
泳中に死亡。 8月23日:大阪で、日本で初めて東洋・太平洋ライト・ヘビー級タイトルマッチが行われ、挑
戦者の千里馬啓徳は判定負け。 9月17日:渡辺二郎が勝間和雄を7RTKOで下し、3度目のタイトル防衛に成功する。 11月 7日:JBCはCTスキャンの結果、現役の8選手に対し、引退勧告書を送付。8選手の
中に、現役の日本ジュニア・ライト級チャンピオン、ヨネクラ・イコニや元日本ジ
ュニア・フライ級チャンピオン、倉持正が含まれていたため大騒動に。結局、全選
手がこの勧告を受け入れたが、数名がその後IBF日本でリングに上がる。 12月13日:渡辺二郎が韓国の大邱で尹石煥に5RKO勝ち。4度目(通算10度目)の防衛に
成功するとともに、日本人世界チャンピオンとしては史上初の海外での防衛に成功
する。 12月19日:JBCはミニ・フライ級(現ストロー級)の新設を発表する。 <昭和61年> 1月 :全日本ボクシング協会は、ボクシング界活性化策としてA級ボクサーによるトーナ
メント大会の実施を発表。優勝者には、賞金(50万円)のほか、チャンピオン・
カーニバルでの優先挑戦権が与えられた。(現在の賞金トーナメント優勝者には挑
戦権は与えられてない) 1月21日:米倉健志・ヨネクラジム会長が、全日本ボクシング協会会長に就任。 2月10日:日本ミニ・フライ級初代王座決定戦が行われ、小野健治が初代チャンピオンになる。 3月30日:渡辺二郎がヒルベルト・ローマンに判定負けして、タイトル失う。 4月 7日:穂積秀一がWBA世界フライ級チャンピオン、イラリオ・サパタに挑戦したが、判
定負け。 4月12日:ボクシング評論家の下田辰雄氏が死去。 4月28日:新設された東洋・太平洋ミニ・フライ級王座決定戦に出場した小野健治は判定負け。 6月14日:喜友名朝博が韓国の仁川でWBA世界ジュニア・フライ級チャンピオン、柳明佑に
挑戦したが、12RKO負け。 7月24日:浜田剛史がWBC世界ジュニア・ウエルター級チャンピオン、レネ・アルレドンド
を1RKOで下し、悲願の世界チャンピオンとなる。 9月 9日:全日本ボクシング協会は理事会で、世界タイトルへの挑戦は、日本または東洋・太
平洋チャンピオンになってからとすることを決める。 11月15日:ボクシング評論家の平沢雪村氏が死去。 11月24日:3月に世界タイトルを失った渡辺二郎が、正式に再起を表明したが、結局、試合は
行わず。 12月 2日:浜田剛史がロニー・シールズを判定で下し、タイトル初防衛に成功する。 12月14日:大橋秀行が韓国の仁川でWBC世界ジュニア・フライ級チャンピオン、張正九に挑
戦したが、5RTKO負け。 <昭和62年> 1月20日:前日本ジュニア・ライト級チャンピオンの田中健友が、覚せい剤取締法違反で逮捕
送検される。JBC6ヶ月の出場停止処分を課す。 3月10日:全日本ボクシング協会が、A級トーナメントに次いで、B級トーナメント実施を決
定する。 3月11日:ボクシング評論家の石川輝氏が死去。 3月29日:六車卓也が空位のWBA世界バンタム級王座決定戦で、アサエル・モランを5RK
Oで下し、タイトル奪取。 5月24日:六車卓也が朴賛栄に11RTKOで敗れ、タイトル失う。 6月22日:日本フェザー級チャンピオンの杉谷満が、ジュニア・フェザー級でのテストを兼ね
たノンタイトル戦で、不覚の判定負けを喫し、フェザー級のリミットを切って戦っ
たため、タイトルを剥奪される珍事。 7月 8日:井岡弘樹が日本ミニ・フライ級チャンピオン、小野健治を判定で下し、18歳4ヶ
月で日本チャンピオンになる最年少記録を作る。 7月22日:浜田剛史がレネ・アルレドンドに6RTKO負けして、タイトルを失う。 8月 :WBCがストロー級を新設する。 10月18日:井岡弘樹がWBC世界ストロー級初代王座決定戦に出場し、マイ・トンブリファー
ムに判定勝ちして、タイトル奪取。 10月19日:〜23日に行われたWBA総会で、世界タイトルマッチを12回戦にすることが決
まる。 12月23日:世界ヘビー級チャンピオン、マイク・タイソンの防衛戦が、新しく完成した東京ド
ームで行われることが発表される。 <昭和63年> 1月12日:全日本ボクシング協会がタイトルマッチ契約でのオプションを廃止すること決定す
る。 1月17日:六車卓也がWBA世界バンタム級チャンピオン、ウィルフレド・バスケスに挑戦し
たが、引き分けでタイトル奪還ならず。また、この試合から悪夢の世界タイトル挑
戦21連続失敗の記録が始まる。 1月31日:井岡弘樹が李敬淵を劇的な12RKOで下し、タイトル初防衛に成功する。また、
同じリングで行われたWBC世界フライ級タイトルマッチは、チャンピオンのソッ
ト・チタラダが挑戦者の神代英明に7RTKO勝ち。 2月 1日:前日、愛弟子井岡の試合会場(大阪城ホール)で意識不明となった名トレーナー、
エディ・タウンゼント氏が、井岡の初防衛を見届けて死去。 2月 4日:WBCが36歳以上の選手の世界タイトルマッチ出場を禁止する案を出す。 2月 5日:尾崎富士雄がアメリカ・アトランティック・シティでWBA世界ウエルター級チャ
ンピオン、マーロン・スターリングに挑戦したが、判定負け。 3月21日:オープンしたばかりの東京ドームで、世界ヘビー級タイトルマッチが行われ、チャ
ンピオンのマイク・タイソンが、挑戦者のトニー・タッブスを2Rで粉砕。 4月 7日:浜田剛史が引退を発表。 4月24日:横沢健二がWBA世界ストロー級チャンピオン、レオ・ガメスに挑戦したが、3R
TKO負け。 6月 5日:井岡弘樹がナパ・キャットワンチャイと引き分けて2度目のタイトル防衛に成功し
たが、最終12R終了のゴングが約30秒早かったとして問題になる。 6月 8日:JBCは井岡vsナパ戦でゴングを早く鳴らした二人のタイム・キーパーを1ヶ月
の出場停止にすると発表する。 6月27日:大橋秀行がWBC世界ジュニア・フライ級チャンピオン、張正九に再挑戦したが、
8RTKO負け。 7月 9日:内田好之がWBC世界ジュニア・バンタム級チャンピオン、ヒルベルト・ローマン
に挑戦したが、5RTKO負け。 8月12日:JBCは前日の試合で、反則行為に関してもめた安部和夫レフェリーと古山哲夫・
ライオンズジム会長に厳重戒告処分を課す。 9月 4日:畑中清詞がWBC世界ジュニア・バンタム級チャンピオン、ヒルベルト・ローマン
に挑戦したが、判定負け。この試合、ローマンのロー・ブローで2度、合計8分間
の中断があり、TV中継が最後まで放送されない事態に。 10月16日:六車卓也がWBA世界ジュニア・フェザー級チャンピオン、ファン・ホセ・エスト
ラーダに挑戦したが、11RTKO負け。 10月28日:マッチメーカーの駒田拳士氏が死去。 10月29日:ハワイ在住の日系人プロモーター、サム・一ノ瀬氏がボクシング殿堂入り。 11月 4日:WBO(世界ボクシング機構)が創立されたが、JBCはこの団体を承認しないと
発表する。 11月13日:井岡弘樹がナパ・キャットワンチャイとの再戦で、判定負け。タイトルを失う。 11月13日:専修大学ボクシング監督が詐欺で逮捕される。専修大学はリーグ戦出場を辞退。 12月 5日:六車卓也が引退を発表。 12月23日:記者クラブによる年間表彰選手の選考会で、27年ぶりにMVPなしと決まる。 <平成元年> 1月 7日:昭和天皇が崩御。元号が昭和から平成に変わる。 2月12日:小見山カツミが韓国の清州でWBA世界ジュニア・フライ級チャンピオン、柳明佑
に挑戦したが、10RKO負け。 2月13日:五代登が日本ライト級チャンピオンになり、日本タイトル3階級制覇を達成する。 2月19日:小林智昭が韓国の大田でWBA世界バンタム級チャンピオン、文成吉に挑戦したが
5RTKO負け。 3月 1日:原田政彦・ファイティング原田ジム会長が、全日本ボクシング協会会長に就任。 3月 5日:レパード・玉熊がWBC世界フライ級チャンピオン、金容江に挑戦したが、判定負
け。 3月26日:杉谷満がWBA世界フェザー級チャンピオン、アントニオ・エスパラゴサに挑戦し
たが、10RKO負け。 4月 8日:松村謙二がWBA世界ジュニア・バンタム級チャンピオン、カオサイ・ギャラクシ
ーに挑戦したが、判定負け。 4月29日:平仲伸章がイタリアのバストでWBA世界ジュニア・ウエルター級チャンピオン、
ファン・マルチン・コッジに挑戦したが、判定負け。 6月10日:井岡弘樹がナパ・キャットワンチャイと三度グローブを交えたが、11RTKO負
け。 8月16日:羽後武夫レフェリーが死去。 9月24日:大鵬健文が韓国の水安堡でWBA世界ジュニア・フライ級チャンピオン、柳明佑に
挑戦したが、11RKO負け。 10月26日:JBCの倫理委員会は、7年前に薬物混入疑惑でライセンス資格の無期限停止処分
を受けていた金平正紀氏の処分解除を決める。 10月31日:松村謙二がカオサイ・ギャラクシーに再挑戦したが、12RTKO負け。 12月10日:尾崎富士雄がWBA世界ウエルター級チャンピオン、マーク・ブリーランドに挑戦
したが、4RTKO負け。 12月20日:記者クラブによる年間表彰選手の選考会で、MVPが2年連続該当者なしと決まる。 <平成2年> 1月13日:田島吉秋が韓国の蔚山でWBA世界スーパー・ミドル級チャンピオン、白仁鉄に挑
戦したが、7RTKO負け。 1月14日:徳島尚が韓国の仁川でWBA世界ジュニア・フライ級チャンピオン、柳明佑に挑戦
したが、7RKO負け。 1月16日:全日本ボクシング協会が、世界タイトルへの挑戦資格に条件を追加することを決め
る。それまでの最低条件であった「日本チャンピオンになること」に「国内での指
名選手との防衛戦をクリアすること」が付け加えられた。 2月 1日:ソ連から来日したボクサー6人がデビュー戦をKOで飾る。この時デビューした選
手中に、後に世界チャンピオンとなる勇利とナザロフがいた。 2月 7日:大橋秀行がWBC世界ストロー級チャンピオン、崔漸煥を9RKOで下し、タイト
ル奪取。日本人の世界タイトル挑戦失敗の記録は21で止まる。 2月11日:東京ドームで行われた世界ヘビー級タイトルマッチで、チャンピオンのマイク・タ
イソンが、ジェームス・ダグラスに10RKOで敗れる大番狂わせ。しかし、レフ
ェリーのロング・カウントで、一時タイトル凍結の動きがあるなど混乱もあった。 3月 9日:ロッキー・リンが台湾籍のボクサーとして初めて、日本チャンピオンになる。 6月 8日:大橋秀行がナパ・キャットワンチャイを判定で下し、タイトル初防衛に成功する。 6月30日:中島俊一がタイのチェンマイでWBA世界ジュニア・バンタム級チャンピオン、カ
オサイ・ギャラクシーに挑戦したが、8RTKO負け。 7月 9日:全日本ボクシング協会は、日本タイトルマッチでのファイト・マネーの公表を決め
る。また、5回連続防衛と10回連続防衛を果たした日本チャンピオンに対して、
功労金を贈ることも決定した。 7月29日:レパード・玉熊がWBA世界フライ級チャンピオン、李烈雨を10RTKOで下し
タイトル奪取。 8月10日:中村信一・中村ジム元会長が死去。 9月 8日:井岡弘樹が酔っ払いに殴られる。 9月11日:辰吉丈一郎が岡部繁を4RKOで下し、4戦目で日本バンタム級チャンピオンにな
る。 10月22日:松村謙二が韓国のソウルでWBC世界ジュニア・バンタム級チャンピオン、文成吉
に挑戦したが、5R負傷判定で敗れる。 10月25日:大橋秀行がリカルド・ロペスに5RKO負けして、タイトルを失う。 11月12日:全日本ボクシング協会が、世界タイトル挑戦資格の内規を撤廃することを決める。 11月16日:ファイティング・原田氏が、アメリカの「ボクシング殿堂」入り。 11月28日:12日前に日本フェザー級チャンピオンになったばかりの園寿和がJBCにタイト
ルを返上する。 12月 :WBAが年間最優秀プロモーターに本田明彦・帝拳ジム会長を選出。 12月 6日:レパード・玉熊がヘスス・ロハスと引き分けて、タイトル初防衛に成功する。 12月 8日:京浜川崎ジムの吉川会長が、JBCを相手に10月23日に行われた日本ジュニア
・フライ級王座決定戦は無効とする仮処分を東京地裁に申請する前代未聞の事態。
吉川会長曰く「当日のリングは滑りやすく、戦える状態ではなかった」という。し
かし、東京地裁は、後日この訴えを却下した。 12月21日:第1回「エディ・タウンゼント賞」の選考委員会が開かれ、松本清司トレーナー
(ヨネクラジム)が選出される。 <平成3年> 2月 3日:畑中清詞がWBC世界ジュニア・フェザー級チャンピオン、ペドロ・デシマを8R
TKOで下し、タイトル奪取。 2月 8日:日本フライ級チャンピオン、ピューマ・渡久地が、チャコフ・ユーリとの試合を前
に失踪し、所属のビクトリー・ジムが王座返上届をJBCに提出。 2月14日:元日本フェザー級チャンピオンで新聞記者だった後藤秀夫氏が死去。 3月 9日:スラフ・ヤノフスキーがリック・吉村に判定勝ちして、ソ連人初の日本チャンピオ
ンになる。 3月14日:レパード・玉熊がエルビス・アルバレスに判定負けして、タイトル失う。 4月 :JBCは3月の試合前に失踪したピューマ・渡久地に対して、出場停止処分を2ヶ
月から無期限にすることを発表する。 5月19日:平野公夫がWBC世界ストロー級チャンピオン、リカルド・ロペスに挑戦したが、
8RKO負け。 6月14日:畑中清詞がダニエル・サラゴサに判定負けして、タイトル失う。 6月15日:竹田益朗が韓国の大邱でWBA世界フェザー級チャンピオン、朴永均に挑戦したが
6RTKO負け。 9月19日:辰吉丈一郎がWBC世界バンタム級チャンピオン、グレグ・リチャードソンを10
RTKOで下し、デビュー8戦目で世界タイトル奪取。 10月28日:畑中清詞が引退を発表。 11月 8日:渡辺二郎が引退を発表。 12月 5日:辰吉丈一郎が網膜裂孔により入院。2月に予定されていた防衛戦の延期を発表。 12月17日:井岡弘樹がWBA世界ジュニア・フライ級チャンピオン、柳明佑に判定勝ちを収め
2階級制覇を達成する。この試合終了後、判定が二転三転するハプニングで大騒ぎ
となる。 12月20日:記者クラブによる年間表彰選手の選考会が行われたが、津田博明グリーンツダジム
会長が、井岡はMVP以外の選出を辞退すると発言して物議を醸す。しかし、この
年のMVPには辰吉丈 一郎が選ばれ、井岡は技能賞に選出された。 12月21日:ファイティング・原田に韓国の「国際文化協会」から、アジア平和賞が贈られる。 12月21日:第2回「エディ・タウンゼント賞」に、協栄ジムのアレクサンドル・ジミン・トレ
ーナーが選出される。 <平成4年> 1月25日:浅川誠二が韓国の仁川でWBA世界フェザー級チャンピオン、朴永均に挑戦したが
9RKO負け。 2月22日:細野雄一が韓国のソウルでWBA世界ストロー級チャンピオン、チェ・ヒィヨンに
挑戦したが、10RTKO負け。 3月31日:井岡弘樹がノエル・ツニャカオを判定で下し、タイトル初防衛に成功する。 4月10日:鬼塚勝也がタノムサク・シスボーベーに判定勝ちを収め、空位のWBA世界ジュニ
ア・バンタム級タイトルを奪取。際どい試合にスポーツ新聞が、一斉に鬼塚叩きに
近い報道をする。 また、メキシコでWBA世界ジュニア・ウエルター級チャンピオン、エドウィン・
ロサリオに挑戦した平仲明信は、1R1分32秒TKO勝ちで新チャンピオンとな
る。なお、試合のKOタイムは、日本人の世界タイトルマッチのおけるKO勝ち最
短記録。 4月24日:勝又行雄氏が全日本ボクシング協会を、ジム加盟をめぐるトラブルで東京地裁に提
訴。 4月25日:松本好二が韓国の安山でWBA世界フェザー級チャンピオン、朴永均に挑戦したが
11RTKO負け。 5月 1日:WBAの実行委員会は、先に行われたWBA世界ジュニア・バンタム級王座決定戦
の判定に不服として提訴していたタノムサク・シスボーベーの訴えを認めないこと
決定する。 5月 2日:阿部幸四郎・アベジム会長が死去。 6月 3日:JBCはピューマ・渡久地の無期限出場資格停止処分の解除を決める。 6月 :前日本ジュニア・ウエルター級チャンピオン、リック・吉村が石川ジムに移籍。 6月15日:井岡弘樹が金奉準を判定で下し、2度目のタイトル防衛に成功する。 6月23日:ユーリ・海老原(勇利・アルバチャコフ)がWBC世界フライ級チャンピオン、ム
アンチャイ・キテカセムを8RKOで下し、タイトル奪取。また、同じリングに人
気俳優ミッキー・ロークが登場、ダリル・ミラーに猫なでパンチ一発で1RKO勝
ち。ボクシング・ファンから大顰蹙を買う。 7月15日:竹田益朗がWBA世界ジュニア・ライト級チャンピオン、ヘナロ・エルナンデスに
挑戦したが、判定負け。 9月 9日:平仲明信がモーリス・イーストに11RKO負けして、タイトル失う。 9月11日:鬼塚勝也が松村謙一を5RTKOで下し、タイトル初防衛に成功する。 9月17日:辰吉丈一郎がビクトル・ラバナレスに9RTKO負けして、タイトル失う。 10月11日:ロッキー・リンがWBC世界ストロー級チャンピオン、リカルド・ロペスに挑戦し
たが、2RKO負け。 10月12日:全日本ボクシング協会は、入会規則の見直しを決定する。 10月14日:大橋秀行がWBA世界ストロー級チャンピオン、チェ・ヒィヨンに判定勝ちして、
タイトル奪取。 10月20日:ユーリ・海老原(勇利・アルバチャコフ)が陳潤彦に判定勝ちを収め、初防衛に成
功する。 11月 :保坂誠コミッショナーがWBCの終身名誉副会長に選出される。 11月18日:井岡弘樹が柳明佑に判定負けして、タイトルを失う。 11月20日:渡辺雄二がWBA世界ジュニア・ライト級チャンピオン、ヘナロ・エルナンデスに
挑戦したが、6RTKO負け。 12月11日:鬼塚勝也がアルマンド・カストロに判定勝ちして、2度目のタイトル防衛に成功す
る。 12月21日:上山仁がアルゼンチンのブエノスアイレスで空位のWBA世界ジュニア・ミドル級
王座決定戦に出場したが、フリオ・セサール・バスケスに1RKO負け。 <平成5年> 1月18日:ピューマ・渡久地の再起戦が正式に発表される。 1月24日:ハワイ在住の日系人プロモーター、サム・一ノ瀬氏が死去。 2月10日:大橋秀行がチャナ・ポーパオインに判定負けして、タイトルを失う。 3月20日:ユーリ・海老原・アルバチャコフ(勇利・アルバチャコフ)がタイのロッブリでム
アンチャイ・キテカセムに9RTKO勝ちして、2度目のタイトル防衛に成功する。 3月31日:全日本ボクシング協会は、新規入会申請者に対する資格審査委員会の設置を決める。 5月21日:鬼塚勝也が林在新に判定勝ちして、3度目のタイトル防衛に成功する。 6月 5日:日本ストロー級王座決定戦で、日本ボクシング史上初の兄弟対決が実現し、兄の江
口九州男が、弟の勝昭に6RTKO勝ち。 6月11日:保坂誠コミッショナーが、記者懇談会の席上で、先に行われた鬼塚vs林戦は「鬼
塚の負け」と発言し、新聞紙面を賑わす。 6月14日:保坂発言を受けて金平正紀・協栄ジム会長が、鬼塚の引退を発表する。 6月21日:井岡弘樹がWBA世界フライ級チャンピオン、デビット・グリマン・メンデスに挑
戦したが、8RTKOで敗れ、3階級制覇ならず。 6月22日:鬼塚勝也が記者会見を行い、金平会長の引退宣言を否定する。 6月23日:吉野弘幸がWBA世界ジュニア・ウエルター級チャンピオン、ファン・マルチン・
コッジに挑戦したが、5RKO負け。 7月16日:ユーリ・アルバチャコフがイサイアス・サムディオに判定勝ちして、3度目のタイ
トル防衛に成功する。 7月22日:辰吉丈一郎が前年敗れたビクトル・ラバナレスに2−1の判定判定勝ちを収め、W
BC世界バンタム級暫定チャンピオンとなる。 7月25日:細野雄一が韓国の慶州でWBA世界ジュニア・フライ級チャンピオン、柳明佑に挑
戦したが、判定負け。 8月11日:川島郭志が、相模原ヨネクラジムから、ヨネクラジムに移籍。 9月 2日:全日本ボクシング協会を独禁法違反で訴えていた勝又行雄氏が、和解して訴えを取
り下げる。 9月14日:辰吉丈一郎が左目の不調を訴えて入院。翌日網膜剥離と発表され、現役引退のピン
チ。 9月27日:東京で行われたOPBFの年次総会で、OPBFチャンピオンの指名試合期限が、
6ヶ月から9ヶ月に変更される。また、世界タイトル戦同様、ノー・スタンディン
グ・カウント制の採用を決める。 10月21日:八尋史朗が空位のWBA世界ジュニア・フライ級王座決定戦に出場したが、レオ・
ガメスに9RTKO負け。 10月21日:日本ボクシング史上最年少で、東洋ライト級チャンピオンになった沢田二郎氏が死
去。 10月30日:グッシー・ナザロフが南アフリカ共和国のヨハネスブルグでWBA世界ライト級チ
ャンピオン、ディンガン・トベラに判定勝ちを収め、ユーリに次いで世界チャンピ
オンとなる。 11月 5日:鬼塚勝也がタノムサク・シスボーベーに判定勝ちして、4度目のタイトル防衛に成
功する。 11月18日:横田広明がWBA世界ジュニア・フェザー級チャンピオン、ウィルフレド・バスケ
スに挑戦したが、判定負け。 12月13日:勇利・アルバチャコフが車南勲に判定勝ちして、4度目のタイトル防衛に成功する。 12月23日:薬師寺保栄がWBC世界バンタム級チャンピオン、辺丁一に判定勝ちして、タイト
ル奪取。 12月24日:網膜剥離を患った辰吉丈一郎が、記者会見で現役継続を発表する。 <平成6年> 1月28日:現役継続を発表した辰吉丈一郎が、アメリカで手術を受けた左目検査を受け、現役
継続に支障なしと診断される。 2月 7日:大橋秀行が引退を発表する。 3月 2日:葛西裕一がWBA世界ジュニア・フェザー級チャンピオン、ウィルフレド・バスケ
スに挑戦したが、わずか125秒でKO負け。 3月19日:浅川誠二がWBA世界フェザー級チャンピオン、エロイ・ロハスに挑戦したが、5
RKO負け。 3月19日:グッシー・ナザロフが南アフリカ共和国のボプタツワナでディンガン・トベラに判
定勝ちして、タイトル初防衛に成功する。 4月 1日:JBCが計量を、前日計量に変更する。 4月 2日:日本で「ヘビー級エクスプロージョン」が開催され、本場のヘビー級が日本のリン
グで行われる。 4月 3日:鬼塚勝也が李承九に判定勝ちして、5度目のタイトル防衛に成功する。 4月16日:薬師寺保栄がホセフィーノ・スアレスに10RKO勝ちして、タイトル初防衛に成
功する。 5月 4日:川島郭志がWBC世界ジュニア・バンタム級チャンピオン、ホセ・ルイス・ブエノ
に判定勝ちして、タイトル奪取。 5月23日:辰吉丈一郎がハワイで復帰戦を行うことを発表する。 6月27日:全日本ボクシング協会は、網膜剥離を患った選手に関するルールの改正を求める要
望書をJBCに提出する。 7月 2日:辰吉丈一郎がハワイでホセフィーノ・スアレスに3RKO勝ちする。WBCは辰吉
のバンタム級暫定チャンピオン復帰を決める。 7月31日:薬師寺保栄が辺丁一に11RTKO勝ちして、2度目のタイトル防衛に成功する。 8月 1日:勇利・アルバチャコフがウーゴ・ソトに8RKO勝ちして、5度目のタイトル防衛
に成功する。 8月 7日:川島郭志がカルロス・サラサールに判定勝ちして、タイトル初防衛に成功する。 8月 9日:JBCは辰吉丈一郎に対し、暫定チャンピオンから転落すれば引退することを条件
に国内での試合を容認することを決める。 9月 1日:メキシコのWBC本部で、薬師寺vs辰吉戦の興行権の入札が行われ、薬師寺陣営
が342万ドル(約3億4千万円)で落札する。 9月18日:鬼塚勝也が李炯哲に9RTKO負けして、タイトル失う。試合直後、鬼塚自身が網
膜剥離を告白して引退を発表する。 9月23日:ベネズエラで武者修行中の葛西裕一がラテンジュニア・フェザー級王座決定戦に出
場したが、7RTKO負け。日本人がラテンタイトルへ初めて挑戦した試合。 11月12日:ヨネクラジムのトレーナーで、第1回エディ・タウンゼント賞受賞者の松本清司氏
が死去。 12月 4日:日本人同士の対決となったWBC世界バンタム級タイトルマッチは、チャンピオン
の薬師寺保栄が暫定チャンピオンの辰吉丈一郎を判定で下し、3度目の防衛に成功
する。 12月 9日:オルズベック・ナザロフがアメリカのポートランドでジョーイ・ガマチェの挑戦を
受けたが、2RKO勝ちして、2度目のタイトル防衛に成功する。